橘曙覧

○井手今滋編『橘曙覧遺稿 志濃夫廼舎歌集』井手今滋,1878.8【NDL近デジ1-2集】【NDL近デジ3-5集・補遺】【早大古典籍DB】
→「…はじめに志濃夫廼舎翁小像、筆蹟、橘曙覧の家にいたる詞(明治十一年六月橘今滋誌とある)、近藤芳樹の序(「明治十とせといふとしの六月ついたちの日 東京四谷の寄居子庵にて 近藤芳樹識」とある)があり、つぎに生前に曙覧が自撰しておいた歌を、松籟草(第一集)・襁褓草(第二集)・春明草(第三集)・君来草(第四集)・白蛇草(第五集)として収め、福寿草は補遺として死の枕辺に「散ほひし草稿とも」を集めたものであると例言にある…」(「久松」p35)
→「…曙覧の自選歌七八六首に、今滋が集めた七四首を補遺として加えた合計八六〇首を収録。」(『全歌集』p404)
正岡子規「曙覧の歌」(『日本(新聞)』明治32年4月23日号,1899.4)【青空文庫】
与謝野鉄幹「曙覧歌評釈」(『明星』2・3,1990.)
○井手今滋編『橘曙覧全集』冨山房,1901.9【NDL近デジ】【Google Books】
→「…明治三十六年九月芳谷矢一博士の序文、明治二十七年甲午五月依田百川撰の井手曙覧翁墓碑銘を添えて刊行されている。…志濃夫廼舎歌集の外に、藁屋詠草并文集・沽哉集・榊の薫・囲炉裡譚・花廼沙久等が収められてある。藁屋詠草并文集以下、囲炉裡譚までは曙覧の自作の歌文であるが、花廼沙久等は、明治三十四年一月井手今滋誌とある序によると、万葉集古今集はじめ十八首の書から三百八十一首を撰抜したものである(以下略)」(「久松」p35)
→「…最初に依田百川撰の「井手曙覧翁墓碣銘」、今滋著の「橘曙覧小伝」を収録して、『志濃夫廼舎歌集』の全歌と、『藁屋詠草』、『藁屋文草』、『沽哉集』、『榊の薫』、『囲炉裡譚』、『花廼桜』を収め、芳賀矢一の跋がある。」(『全歌集』p404)
佐佐木信綱校註「志濃夫廼舎歌集」佐佐木信綱芳賀矢一校註『校註和歌叢書 第6冊(近代名歌選)』博文館,1914.)
斎藤茂吉「曙覧の歌評釈」(『紅毛船』1920.7-9)
○植松寿樹『橘曙覧歌集(新釈和歌叢書 第7編)』紅玉堂書店,1926.1【NDL近デジ】
○山田秋甫『橘曙覧伝并短歌集』中村書店,1926.11
→「…橘曙覧伝と冠註志濃夫廼舎歌集と橘曙覧全集拾遺が収められている。橘曙覧伝は最初の詳伝で年譜がはじめにある。伝は詳しく著書は全集にある外、古今集垣間見・古風文集・秀句歌集の原稿があったが、明治三十三年四月福井大火に焼失したとある。冠註志濃夫廼舎歌集には人名地名の注があって有益である。橘曙覧全集拾遺は歌集・詩集・文集にわけてその拾遺をあげてある。歌は二十七首ある。…」(「久松」p35)
→「…橘曙覧研究の最初の詳伝といわれるもので、『志濃夫廼舎歌集』の全歌に、拾遺の歌集・詩集・文集を付載する。」(『全歌集』p404)
→「曙覧についての最初のまとまった研究書。後半を占める「冠註志濃夫廼舎歌集」は、作中人物の考証に関する注がほとんどで、一首一種の読解の手がかりに乏しいという難点はあるものの、曙覧周辺の人物について調査するに当たっての利用価値は今なお高い」(「久保田」p462)
○相馬御風『曙覧と愚庵』春秋社,1927.11
○井手今滋編『橘曙覧全集』岩波書店,1929.9【NDL近デジ】
→「…この橘曙覧全集(冨山房本)は後に絶版になったのを斎藤茂吉氏が後記を加えて昭和二年八月に岩波書店から刊行されている。」(「久松」p35)
→「(二)(冨山房本)の改訂版で、芳賀矢一の跋文を巻頭に掲げ、斎藤茂吉の詳細な後記を添える。」(『全歌集』p404)
○藤井乙男編『橘曙覧歌集(歌謡俳書選集五)』文献書院,1927.10
→「簡単な頭注ながら、出典の指摘などでその後の注釈の基礎となった事項が散見される」(「久保田」p462)
○山田秋甫『曙覧遺芳』中村書店,1928.6
○永井環・島崎圭一『橘曙覧書簡集』岩波書店,1937.7【NDL近デジ】
→「…曙覧が芳野菅子・山本平三郎・富田礼彦ら二十四氏に送った書簡百二十三通を収め、それぞれ解説を加えてある。曙覧研究の主要な資料である。」(「久松」p36)
→「…書簡一二三通を収め、宛所の二十四人に関する詳細な解説を付け。佐佐木信綱等の論考九本を付載。」(『全歌集』p404)
折口信夫『橘曙覧評伝(日本精神叢書58)』教学局,1941.3【NDL近デジ】【青空文庫】
→「…曙覧の評伝と評点を付けた「志濃夫廼舎歌集抄」を収録。」(『全歌集』p404-5)
○白崎秀雄編註『新編校註橘曙覧歌集』古今書院,1942.7
→「人物考証・歌語解説とも多少の進展を見るが、むしろ伝記研究の現状に警鐘を鳴らし、作品研究の不振を嘆ずる著者の解説に力がこもる」(「久保田」p463)
○辻森秀英『曙覧』有光社,1943.4
○藤田徳太郎『橘曙覧』不二歌道会,1960.6
久松潜一・片桐顯智校注「橘曙覧」(高木市之助・久松潜一校注『近世和歌集(日本古典文学大系)』岩波書店,1966.8)(=「久松」と略)
→「…全三〇二首を抄出して頭注と口語訳を付けた。」(『全歌集』p405)
→「…曙覧が取り上げられ、八百六十首中三百二首が抄出されてかなり詳しい注を施してあるが、全和歌を対象としていない…」(「久保田」p463)
○久米田裕『橘曙覧の研究』柊発行所,1971.
○伊藤正雄「幕末歌壇の双璧橘曙覧と大熊言道」(『神戸女子大学紀要』6,1977.1)
○辻森秀英『近世後期歌壇の研究』桜楓社,1978.
○久米田裕『橘曙覧』柊発行所,1979.1
→「…『志濃夫廼舎歌集』の全歌に拾遺歌を加え、注を付す。富田礼彦の『越路の日記』を付載。」(『全歌集』p405)
○久米田裕『志濃夫廼舎歌集』柊発行所,1979.4
→「注釈の水準を飛躍的に高めた労作。後者(『橘曙覧 志濃夫廼舎歌集』)は前者(『橘曙覧』)から『志濃夫廼舎歌集』の本文と注釈を抜き出して手軽な体裁に改めたものであり、注釈の内容は同じである。地名・人名・典拠において新見に満ちている。この後の注釈書はいずれも多大の恩恵を蒙っている。ただし歌によって註釈の精粗の差が甚だしいのが惜しまれる」(「久保田」p463)
○久米田裕『橘曙覧遺墨集』金井学園,1980.
○井手今滋編・辻森秀英増補『新修 橘曙覧全集』桜楓社,1983.5
→「…(二)(冨山房本)を底本として書簡と拾遺の短歌を増補し、今滋著の『橘氏泝源』(井手氏系図・累代忌日目安付略伝・類題追遠年表)および「明治四十年福井市戸籍除籍簿」を付載。」(『全歌集』p405)
○百川敬仁「近世歌文の位相―橘曙覧のナショナリズム(『日本文学』33-7,1984.7)
○伴五十嗣郎「松平春嶽中根雪江と田中大秀門人の関係―橘曙覧筆「越前太守山口家御成之図」画賛をめぐって」(『皇學館大學神道研究所所報』28,1984.12)
○成瀬有「短歌における近代、その発生」(『短歌』35-8,1988.8)
○伴五十嗣郎「幕末神道思想の形成と展開」(『神道古典研究』12,1990.12)
○辻森秀英『完本橘曙覧歌集評釈』明治書院,1995.6
→「…昭和五十九年刊の初版の増補版。曙覧の小伝と作品の解説に続いて、本歌八六〇首と拾遺歌四九首の口語訳と評釈を合せた全釈。」(『全歌集』p405)
→「曙覧研究を戦前から推進してきた著者の、『志濃夫廼舎歌集』註釈の最終段階を示すもの。全和歌に「通釈」がつき、主要な作には「評」が加えられた。長大な詞書に現代語訳がないこと、本文の誤植がやや目立つこと、「通釈」において和歌の意味を取り違えている例が少なからず見られることなどの難点があり、利用には注意が必要である」(「久保田」p463)
福井市編・足立尚計訳註『全訳註 独楽吟 橘曙覧ひとりたのしめるうた』福井市,1995.
○上野洋三「橘曙覧」(『国文学解釈と鑑賞』61-3,1996.3)
○水島直文・橋本政宣編『橘曙覧全歌集(岩波文庫)』岩波書店,1999.7(=『全歌集』と略)
→「現時点で最も新しい注釈書。注のスペースは小さいものの、必要不可欠な情報を可能な限り盛り込んである。特に縁語・掛詞の指摘は周到といえる。『志濃夫廼舎歌集』に漏れた作品を集成し、人名・地名の索引を備えた。一首ごとの現代語訳がないのは残念である。書評に足立尚計「水島直文・橋本政宣編注『橘曙覧全歌集』がある」(「久保田」p463)
○足立尚計「水島直文・橋本政宣編注『橘曙覧全歌集』」(『藝林』49-1,2000.2)
○足立尚計「橘曙覧と芳野菅子」(『風花』5,2000.3)
○足立尚計「松平春嶽と橘曙覧―松平春嶽の対人物観をめぐる一視座」(『福井市立郷土歴史博物館研究紀要』8,2000.3)
○足立尚計「久津見みち子と彦坂寿清尼―橘曙覧の精神と生活を支えた二人の女性」(『風花』6,2001.3)
○前川幸雄・前川正名・水島直文「橘曙覧作「日本建国之吟」考」(『福井大学教育地域科学部紀要1(人文科学 国語学・国文学・中国学編)』52,2001.12)
○打越孝明「橘曙覧と和歌のこころ」(『大倉山論集』48,2002.3)
○前川幸雄・前川正名・水島直文「橘曙覧作「漢詩十種」之研究」(『福井大学教育地域科学部紀要1(人文科学 国語学・国文学・中国学編)』53,2002.12)
久保田啓一校注「志濃夫廼舎歌集」鈴木健一・進藤康子・久保田啓一『布留散東・はちすの露・草径集・志濃夫廼舎歌集(和歌文学大系74)』明治書院,2007.4)(=「久保田」と略)